コーチャブルであること

昔はTwitterのふぁぼ欄を至極の面白ツイートと後から見返したい記事で埋めていたのが、ある日からかわいい声優の自撮りと綺麗な2次元イラストで埋まってしまい、もともと果たしていた役割が失われてしまった。

最初は利便性を重視して絵をこっちにうつしてふぁぼ欄を復旧しようとも思ったんだけど数が記事<<<<<<<イラストなので、普通に労力的に無理だなってなった。

記事よんでの感想とか添えれるのがブログに記事置いとく意味なんだろうけど今日はめんどいのでリンクだけ。

 

https://blog.tinect.jp/?p=66220

 

内容はエリックシュミットの1兆ドルコーチから引ひいて、そもそもどんなに優秀なコーチでも受ける側がコーチャブルでなければだめだというもので、現実では自分はコーチを受ける側なわけだけどコーチャブルかどうか自省している。というかコーチャブルでない自覚はたぶんにあるので改めようと思う。思うだけだし機を見て思うので多分100万回思っている。コーチャブルたりたいと思った回数なら右に出るものはあまりいないと思う。

1兆ドルコーチは昔会社の本棚に置くよう上司に進言したところ却下されたんだけど、上のレビューみたらやはり面白そうだったんで買いたい。

関係ないけどビジネス街の書店の入り口に平積みされているビジネス書のうち、著者が外人の奴は良書であることが多く、知らない日本人の奴は良書悪書が五分、知ってる日本人の奴は古紙回収になることが多い気がする

次はグレーバーのBullshit Jobsを読みたいのでその次かな